近況(一月)

友達に急にこんな長文のメッセージを送ったら相手が困るだろうし、かといってブログに書くには短いし、何日か(あるいは何週間か)考え続けたことも含まれるから日記には書きにくいようなものどもです。お暇つぶしにお読みください。

 

・一月一日は10時くらいに起きてお雑煮とおせちを食べた。元日の変に清々しさと夜更かしした朝のけだるさが入り混じった感じって変で好きだ。変な感じをもっと味わいたかったから、家族と初詣に行ったあと一人で散歩に行った。ほぼすべてのお店が閉まっているので繁華街に人が全然いなくて歩きやすかったし、アーケード街を通っているときなんかはここで叫んだらどうなるだろうと思ってわくわくした。私にはそういう「この場で絶対やってはいけないこと」をやってみたくなる癖がある(これは脳がやってはいけないことを想定するのをやってみたいという欲求だと錯覚しているとどこかで見た気もします。しかしよくわからん。なんでそんなことを錯覚する必要があるのだろうか)。確か去年の今頃は卒業式の練習の途中で急に上履きを壇上に投げ捨ててみたらどうなるかな(^^♪というようなことをずっと想像していた。投げ捨てなくてよかったし、投げ捨てればよかった。

 

今際の国のアリスの最終話を見た。というかほぼ最終話だけを見た感じ。どうしてそんなことになったのか。家族が私のいない間にどんどんネトフリで何話も観進めていって、まあそもそも一緒に観ようとしてたわけではないし本編をちゃんと追わなくても大体あらすじとかを教えてもらえれば楽しめるしいいか、と思っていた結果である。だがしかしドラマの最終話を見ている人間はドラマの展開に夢中なのであらすじを聞こうものなら「いまいいところだから!」と言われる。結果として5話ぐらいまでのあらすじと最終話の展開だけを知っている大変中途半端な状態になってしまった。おれっていつもこうなのか?でも自分が知っているストーリーの合間を埋めるようにドラマを観るのって楽しそうだから一回やってみたいかも。

 

・妹がディズニーシーに行くとのことで、絶対にチュロスを食え、と四度ほど念押ししたが食べてくれなかった。私はフォンダンショコラ味のチュロス(チョコレート色のチュロスに水色のお砂糖がまぶされている。お砂糖は絶対ソーダ味だとにらんでいる)が好きです。あとディズニーランドのイッツアスモールワールドが好きで、去年乗った時はなんかめちゃくちゃ泣いてしまった。世界中の子どもが幸せになってほしすぎるし、絶対…泣 それはそれとして妹はディズニー自体をかなり楽しめたようでよかった。

 

・朝ドラ(舞い上がれ)に出てくるヒロインの兄にかなり感情移入している。そうだよね、お金がないと生きていけないし命あっての物種だもんね、お金があればまた後々工場を経営できるかもだよね、これはあなたなりにできることをやってるだけだよね…と思っているがヒロインの兄はずっと周囲とすれ違い続けているっぽくてかわいそうである。でもそれはそれとして言い方ってもんがあると思うよ…とも思う。

 

     



・なんぼ食べても?????????????かわいい???????????よくわからない(なぜ関西弁なのか、なぜいくら食べてもかわいいのかなどの点)けどこういう謎のキャッチコピーが本当に好きだ。実際いちごってなんぼ食べても形も味もまあかわいいし………みんなも見つけたら教えてください。


・お友達と喫茶店に行ったら栞と紙魚子シリーズ(諸星大二郎)が置いてあってかなりテンションが上がった。最高の喫茶店である。このシリーズのホラーなのにとぼけたようなオチとかとか絵の感じとかがとても好きなのだが、ホラーコンテンツを家の中に置いておきたくないので買うにはいたっていない。あと単純に一般の書店で流通している本なのかよくわかっていない。あれってどこで売ってるんだろう。(おまけ 私の好きな漫画:日常、坂本ですが?伝染るんです。ブラックジャックなど ギャグマンガが多い)

 

Twitterのトプ画、もといアイコンを新調した。あとbio、もといプロフィール欄も変えた。髪も切った。イメチェンである。アイコンは夜寝る前にぼーっとヤギのあかちゃんの写真を投稿するインスタグラムのアカウント(baby goat picsみたいな名前だったと思う)を見ていてめっちゃかわいい!私もヤギのあかちゃんの絵描きたい!と思い、描いた。なかなかかわいく描けたなあと自負している。プロフィール欄には終点の町より愛を込めて、と記した。私が小学生の時まで住んでいた町には終点の駅があり、今でもたまにその町まで行く電車を見かけて懐かしく思う。前ここに書いた尊大な図書館がある町だ。私の人格の根幹はあの町で形成されたし、今も魂の一部はあの町とともにある気がしている。

 

・恋愛に回収されない形で人を好きになって、人に好かれて、そうして誰かの特別な人になりたいと思う。「誰かにとって一番特別な人」になろうと思ったらその誰かと恋愛をしなくてはいけないなんておかしいと思うからだ。私の特別な人は恋愛対象として好きな人でなくてもいいと思うし、恋愛感情は友情とか、あるいはそのほかの好きだと思う気持ちに劣るようなものだと思わないからだ。私は私のために、あるいはまた誰かのために、恋愛の文脈でなく好きな人を好きになりたい。

 

・私が佐々木と名乗っているのは粗品の本名に由来する説とササキトモコに由来する説と佐々木蔵之介に由来する説がある(敬称略。お三方とも大好きです)。というのは全部嘘で、佐々木というのは私が自分の育った家に所属しないための苗字だ。自分の育った家を出て、自分が与えられた名前を名乗らないように名乗っている、自分が獲得した苗字が佐々木だ。佐々木は親の苗字でもないし夫の苗字でもない。私のためだけの苗字であり、誰から受け継いだものでもなく、誰にも引き継がれない名前を私は愛している。