おれの肉体はおれのもの❣️

サブタイトル:女の子って本当に楽しい!と思ったことない

 

私が幼稚園に通っていた頃に転んで尻もちをつくのを見ていた大人に骨盤を傷つけると健康な赤ちゃんが産めないよと言われた。骨盤がお尻のあたりにある骨であることをその時に知った。あのときあの人は誰の心配をしていたのだろうか。いずれ子どもを産むであろう私の心配をしていたのだろうか。それとも産まれてくるはずの赤ちゃんの心配をしていたのだろうか。

 

昔生物の授業中(多分ヒトの誕生のあたりの話)に、先生が女子生徒に向かって「君たちは赤ちゃんを産むでしょうから」と言っていた。 もうこれ以上この授業聞きたくないなー、と思ってそれ以降その授業は真面目に受けないようにしていた。私(たち)のことを何も知らない人に私(たち)の将来を確定した形で語られるのは部屋の中に急に土足で上がられるようなものだと思った。

 

授業中に生理痛がひどすぎるのと貧血で意識が半分ないような状態で保健室に行った。ましになったから教室に戻ろうとしたら、保健室の先生に恥ずかしいだろうから担任の先生には貧血で倒れたって伝えました、と言われた。恥ずかしいだろうから?どうしてこの人も私の気持ちを勝手に推し測るのか。私は自分が倒れた原因を担任の先生に伝えておいた方が心配されないだろうなと思っていたが、結局言うタイミングを見失ってそのまま卒業した。

 

大学に入ってから社会学の授業を取った。社会学についての本を一人一冊読んで内容のまとめとそれに対する感想を発表する課題が出た。同じ班の学生が少子化を解消して経済を活発にするには子どもを育てやすい環境を作って、女性が子どもをたくさん産めるようにすべきだというようなことを自分が読んだ本のまとめとして発表した。そのあと発表を聞いた人がコメントを言う時間があったので、私は国のために子どもを産むわけじゃないからと歯切れ悪く言った(班の中で女子学生は私だけだった)。もし時間があったら、私は至らない人間で子どもを育てる自信がないのでいくら環境が整っていても産みたいと今は思いませんし、そもそも全ての女性が子どもを産めるわけでも産みたいわけでもありません、恋愛対象が男性でない女性もいます、乱暴なことを言わないでくださいと言いたかった。

 

別の授業で先生が生理用ナプキンが買えない人のために自治体が配布したりトイレに置いておいたりする取り組みがあるという話をしたあと隣の席からあいつ最強じゃん、と言っている声が聞こえてきて、のんきでいいなと思った。ナプキンが買えなくて困ったことも、急に生理になったことも、生理前に気分が落ち込んだことも、生理前後にはああしろこうしろとか誰が投稿したのか根拠があるのかわからないインスタのまとめ投稿に指導されたこともないからネタを喋ってる人として見られるし茶化せるんだろうなと思った。ちょっとうらやましかった。

 

また別の授業で先生が男性が育休をとりにくいこと、女性にとって妊娠出産はキャリアの損失の可能性があることを話したあとにグループディスカッションで自分の将来設計を話し合うことになった。後ろの席に座っていた学生が子供は三人欲しいと言っていた。いやそういう授業なのは間違いないんだけどさ、話聞いてたのか、と思ったが聞いたうえでそう言っているらしかった。三人子どもを産みたいと思ってる奥さんを見つけられるといいね、と言おうとしたら他の人の番になっていたので黙った。

 

振袖を着たくない。振袖のカタログを見ているとかわいいから全部着てみたい!と思う。でもなんでこんなに着付けってめんどくさそうなんだろう。スーツがいい。という話を大人にしたらスーツ着たら目立たないよ、せっかく思い出に残るし一回しか着れないんだから振袖着なよと言われた。別の人には女の子は華やかな振袖を着られるからいいね!と言われた。男の子はスーツと袴両方着られるからいいよね!とは言わなかった。成人式が今まで私を育ててくださった皆様に成長をお見せしてそのことに感謝する場であることはわかる。なぜそこで華やかな装いをしないといけないのかがわからない。成長することは華やかな装いができるようになることなのだろうか。友達に会いたいから成人式は行きたい。そろそろ振袖の予約をする時期だから早く決めないといけない。私も振袖を心の底から望んで着たい。

 

私が怒っているのはここに書いた中に出てくる個人ではない。特定の性別を憎んでいるわけでもない。私が恨んでいるのは世間に漂っている空気だ。本を読んだりニュースを見たりするたびに私の価値観が変化して、そのたびに自分や他人の過去の言動が許せないものになる。なんとなくこうしないといけないとかこうしたほうがいいという意味のない社会通念を苦しく思うようになる。その中でも特に、私の、そして女性の体が本人のものでないかのように他者によって語られることに耐えられなくなってきた。妊娠や出産の話をするときに、その場にいる私がいつかその当事者になることをほぼ断定的に誰かが語る。私の体は私のものだ。お前には決して語らせない。お前には決して決めさせない。下の世代がこんな思いをしないようにこんな風潮あたしの代で終わらせるぞ!