私と図書館

昔住んでいたところの最寄りの図書館は自転車でスーパーや産業廃棄物処理場(だったのかも今となってはよくわからない)も延々と続く住宅地も畑も超えた遠いところにあった。遠いといっても小学生の私の漕ぐ自転車で20分かかるくらいなのでそんなに遠くはなかったけど、でもあの図書館の話をしようとするとどうしても私は辺境の地とか人里離れたとかそういう修飾語を思い浮かべてしまう。当時の私にとってあの図書館は日常から離れた世界で、同級生との付き合い方がわからなくなるといつも図書館に行きたいと思っていた。田舎だからあの大きな空き地の周りには何もなくて、あの空間は図書館のために存在しているみたいで、その尊大な佇まいが私は好きだった。

小学校を卒業してからは私は地元を離れた中学校に入った。案の定浮いた。今思うと誰も悪くないし当然のことだし一人は好きな方だったが、それでもやはり苦しかった。もうあんな思いはしたくないし誰にもしてほしくないと思う。話が逸れた。私は街の図書館に行ったけれど、結局大きいだけで不親切な図書館には馴染めなかった(けれど併設のカフェのチーズトーストはおいしかった)。今もう一度行くと結構楽しめるのかもなとも思う。また話が逸れたが、とにかく私は周囲の環境に馴染めなかった(なんて月並みな言葉なんだろう!)。

そこで私は学校の図書室に通い詰めた。校舎の最上階にあった図書室はあの図書館と同じ辺境のにおいがして、私はたちまち好きになった。最上階にある図書室と下界(これは後に図書室にいる私に対して教室を表現するために友人が用いた表現で私が言い出したわけではないです。念のため。自分で言ってたらだいぶ感じ悪い)の教室を10分の休憩時間の間に階段で行き来するのは体力的にかなりしんどかったけど本を読むのは楽しかったし、完全に辛い気持ちが紛れるわけではなかったけど、本を読んでいる間は本を読んでいる人として存在できているみたいで落ち着いた。私は私の孤独を守るために本を読み続けた。尊厳を保つために、と言ってもいいかもしれない。友達がいなくて一人でも、そうしていると私は自分のことを気高い女王様のように思えた。どう考えても滑稽だけどそれは私にとって切実な振る舞いだった。そのおかげで何とか今生きている。のだろう。

だから何というわけでもないし、この話にオチはない。せっかく読んでくれたのにごめんね。本は間接的な人と人の対話で、人は結局人にしか救えないとかそういう普遍的な言葉でこの文章を締めるつもりは全くない。独りよがりかもしれないがこれは完全に私が私のために書いた文章だ。ただ生きていれば救われることがあるかもしれないし、その救いをもたらすのは人じゃない場合もあるし、人は一人でも十分救われうるし、友達がいなくてもどうにか生きていけるし(これを読んでくれた友達が誤解をしないように一応書いておくとあなたがたのことはだいすきです。今度プリ撮ろうぜ)、というようなことが書きたかった。毎回ブログの締めがわかんなくてぐだぐだになるのをやめたいです。

 

おわり