昔人前で話したこと、の語り直し

 人は人のことを完全に理解できないという信念を私は持っている。他人だけでなく自分のこともおそらく何一つ完全にわからないまま生きて死んでゆく。

 だから人は究極的には孤独だ。誰にも理解されないのだから。少なくとも私にとって、無理解は孤独だ。

 

(ふと思ったのだが、私にとって究極の愛って相手を完全に理解することなのかも!でもそんなことは無理だから、今の私にとって愛は相手のことを知ろうとすることだ。もちろん分からないところがあっても相手を愛することはできるかもしれないけど、それでも 分かり合いたいと思う気持ちは愛じゃないだろうか)

 

 けれどその孤独もまた、人と分かち合えないものだろう。だからこそ私はその孤独をいとおしく思う。それは私のアイデンティティだ。今目の前にいるあなたと決して分かり合えないこと、分かち合えないものをこそ尊いと思う。そして同じように、私と分かり合えないあなたのことも尊いと思いたい。

 

(と聖人君子ぶって書いてしまったが、実際の私は「なんで分かってくれないの!」と怒り、「どうしてもあの人のことが分からない」と悲しんでいる しかも怒っている回数の方が多い。だって意味わかんないんだも~ん)

 

 だから私は私の、あなたはあなたの孤独の中を歩むしかない。けれどそこから私は逃げたくない。というかたぶん逃れられない。分かり合えないことこそを道しるべとして歩もうね~~~