継承

人間は自分の遺伝子を次の世代に残すために生きているという考え方が嫌いだった。いや、今も嫌いかもしれない。遺伝子を残すことは動物にだってできるし、何なら生殖抜きでもできるのに、どうしてそれが生きる目的になりうるのだろう。私は自分の遺伝子を残すことに興味がない。そんな機会もあるかもね~と思っているぐらいだ。優性思想的かもしれないが、どんな形であれわざわざ残すほどのものという気がしない(積極的に自分の遺伝子を抹消する気もないが)。もちろん冒頭で述べたようなな考えを持つ人を否定する意図は全くないが、少なくとも私はそちら側の立場ではない。

その代わりに、血のつながりを介さず、私の考えたことや思ったことが受け継がれればいいなあと思う。私の思想が受け継がれて、それが誰かの考え方の癖の一部の形成に影響したりしてほしい。

そういえば前に幾原邦彦展に行ったときに(知らない人のために:幾原邦彦はアニメの監督です)、監督のルーツになったもののコーナーに寺山修司の本が置いてあっておお、と思った(知らない人のために:寺山修司は詩人です。そのほかにもいろんなことやってるけど)。私は中学生の時に寺山修司の著作に出会って、考え方に大きな影響を受けている。好きな監督が好きな詩人の本を読んでいることを知って、なんというか、自分がその系譜の上にいるような気持ちになったのだ。この人たちの一部を私も継承していて、多分同じように継承している人もこの世界中にたくさんいて、決してその人たちと血は繋がっていないけれど、私たちは同じ根源を持っている。さながら上流から湧き出た水がいくつもの支流に分かれて湖や海に注ぎ込むように、至る場所はそれぞれ違っても根源に同じ思想がある。同じアニメがある。同じ小説が、短歌が、映画がある。遺伝子に頼らなくても私は私の存在を後世に伝えられる。

私が今こうしてキーボードを打って書いている文は、今は継承された要素の発現でも、いつか誰かの根源になるのかもしれない。そうなることを夢見ている。